中村圭佐
tsukuruba studios エンジニア / プロデューサー

1985年生まれ。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科修了。大手SIerにて法人向け決済管理システムの企画・開発を経験後、グリー株式会社にてゲームプラットフォームのユーザー獲得チームにてグロースハッカーとして従事。在籍中にアプリレコメンドシステムを開発しエンジニアMVPを獲得。2015年4月からtsukurubaに参画。中古住宅のオンラインマーケットcowcamo(カウカモ)の開発を担当。

スケーラブルな事業とチームを作れる場を求め、ツクルバへ

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中村は、大学の研究室時代にプログラミングと出会う。当時は、それが自分の仕事になるとは思っていなかった。

中村「研究室では、月9のドラマやmixiなど現代社会で流行っている事象を大量のデータから解析する研究をしていました。データの解析にプログラミングが必要だったんです。ただ当時の僕はプログラミングができなかったので、先輩に解析部分を依頼。研究は面白かったので、解析も自分でできたらおもしろいだろうなという思いはありました」

研究室で出会ったプログラミングと、就職した企業で再会した。就職先にはプログラミングを教える仕組みがあり、中村は1年ほどでプログラミングを習得。エンジニアとして勤務した。

エンジニアとして勤務する中で、「今なら解析も自分でできる。研究がもっと楽しめそうだ」と、中村は修士課程に戻り、2年間研究に従事。大学院修了後は、ソーシャルゲーム市場の盛り上がりに沸くグリーへと入社した。

中村「当時は、ソーシャルゲームバブルだったこともあり、社員の1/3がエンジニア。しかも、日本トップレベルのエンジニアが集まっているような環境でした。彼らに追いつこうとがむしゃらに働きました」

結果、入社1年後に月間エンジニアMVPを獲得。技術的に成果を残せたことを機に、中村はグリーを退職。自身の研究でも活用していた、データ分析に関するツールを開発する事業を立ち上げた。しかし、そこで中村はある壁にぶつかる。チームメイキングだった。

中村「事業を拡大するにはチーム作りが必須でした。しかし、仲間を集めるのに苦労し、チームを作れないから、サービスも個人でできる範疇を超えられないという時期が続き…。悩んでいる頃に、ツクルバと出会ったんです」

きっかけはツクルバでコーポレート部門を率いる飯塚の存在だった。飯塚と中村は大学の研究室の同期。当時、飯塚が抱えていたシステムの課題をたまたま中村に相談したところ、中村はその課題を瞬時に解決した。飯塚がこの話をcowcamoリリースに向けエンジニアを探していた共同代表に伝えたところ、すぐに声がかかった。

中村「オフィス近くのカフェでcowcamoが掲げるビジョンや事業の構想、そしてツクルバがエンジニアリングのチームを作ろうとしている話を聞きました。ちょうど当時の僕は、ビジネスをスケールさせること、そしてチームを作ることに関心があり、今の環境での難しさを感じている時期でした。cowcamoは事業もスケーラブルでしたし、自分ひとりでチームを作るよりもツクルバという組織の中でエンジニアのチームを作る方がうまくいくだろう。そう考え、ツクルバへジョインすることを決めました」

思考プロセスの共有が、『その人自身』を尊敬する環境を生む

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中村入社当時のオフィス

中村が入社した当初、ツクルバはまだ10人ほどだった。エンジニアは中村ひとり。建築家やビジネスサイドが中心のエンジニアリングに明るいわけではないメンバーの中で、中村はお互いのリスペクトを大切にしてきた。

中村「当時のチームは、お互いの専門領域がわからないからこそ、相互にリスペクトしていました。人数も少なく、考え方や思考のプロセスを日常的に共有できたので、『この人はこういうことを考えている』と理解し合あえる。それによって、『できること』ではなく『その人自身』をリスペクトし合えていました」

当時、中村は建築系のメンバーと積極的にコミュニケーションをとり、価値観を共有できていたと振り返る。専門が違う同士でなぜ価値観を共有できるのか。その理由を考えると、職能のラベルは関係ないことに気づいたという。

中村「僕は建築の話を聞いているとき、エンジニアとして振る舞っているのではなく、『クリエイター』として振る舞っていることに気づきました。同じクリエイターとして考えると、考え方や思考プロセス、課題解決への姿勢にシンクロする部分が見えるようになり、価値観を共有できたんです」

中村の入社から半年ほどで、cowcamoの開発チームはフロントエンドエンジニア、デザイナー、サーバーサイドエンジニアの計3名体制へと強化。徐々に中村が入社時に思い描いていたチームでのサービスづくりが現実のものになっていった。

中村「人数が増えたことで、チームとして多角的な視点でプロダクトを見ることができるようになりました。構造的な視点で考える人、UX的な視点で考える人、デザインの視点で考える人など、それぞれの強みを活かしアウトプットに繋げられる。チームで開発する醍醐味を感じられるようになりました」

そこから2年ほどで開発チームは15名ほどへと拡大。急激に拡大した裏では、当然課題も生まれてきた。

中村「チームが大きくなると作業分担も増えていきます。作業分担は効率の面では正しいのですが、それぞれの専門性を持ち寄って議論するといった面白さが失われる懸念もありました。加えて、チームが大きくなるとそれぞれの距離も遠くなるので、自然にリスペクトし合うことも難しくなりました。これらを乗り越える手段として作ったのが、tsukuruba studiosだったんです」

職種のラベルに縛られないボーダレスなクリエイターに

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tsukuruba studiosを始めるにあたり、CCOの中村真広は「徐々に職業のボーダーが曖昧になる時代だから、職能のラベルに縛られる必要はない」と語った。

しかし、名は体を表すというようにラベルの影響力は思いのほか大きいだろう。そのラベルを剥がす役割として中村は『場』が重要になると考える。

中村「自分はエンジニアではなくクリエイターだと気づけたのは、ツクルバという場があったからです。同様に、自分はクリエイターだと感じられる場を用意してあげれば、『エンジニアだ』と思っている人に、クリエイターだと気づかせることができるのではないか、そんな場を社内に作れないか、と考えました」

以前は、自然と発生していたコミュニケーションも、会社の規模が大きくなり、空間の使い方が変化すると、意図的に設計しないと生まれなくなる。

ツクルバは、現在のオフィスに引っ越したタイミングで、デザイナーとエンジニアの席がオフィスの両端に離れてしまっていた。思考を共有すべきクリエイター同士の距離が離れたことが、場の重要性を再認識させることとなった。

中村「日々、同じ場でものづくりに取り組んでいなければ、お互いの思考プロセスは共有できません。今回はじめて物理的に場所が離れたことで、単に同じ会社に所属しているだけではダメなのだと気づかされたんです」

職種も空間も、ボーダレスであることを社会に問う

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tsukuruba studiosでは、実空間と情報空間の双方を舞台に事業を展開していくことを掲げている。情報空間をホームグラウンドとして経験を積んできた中村だが、この領域もまたボーダレスなものだという。

中村「エンジニアはオンライン(情報空間)の仕事だと思われますが、僕はそうは思っていません。僕の職能はシステム思考にあると思っています。エンジニアは、システマティックにものごとを捉えて課題を解決する仕事であって、プログラムを書くことはあくまで手段です。その職能で考えると、オンラインに留まる理由はありません。まだまだオフライン(実空間)にはシステマティックなアプローチは少ないですから、オフラインにこそ数多くの活躍の場があると思っています」

実空間と情報空間を問わず、課題に挑み続けることは、エンジニアをクリエイターとして捉えたときに、成長し続けられる環境を作り出すということにもつながる。

中村「クリエイティブの中でも次々と新しい領域が生まれ、僕が見ているクリエイティブもおそらくほんの一部に過ぎません。そのなかでさまざまな職種の人が集まり、常に新しいマインドに触れることは非常に大切な刺激です。tsukuruba studiosにいることで自分の考えがアップデートされ、アウトプットもアップデートされていくという継続的な流れになることを目指しています」

中村が考えるstudiosの役割は、自身のクリエイターとしてのキャリアや成長のためのものではない。中村はtsukuruba studiosを通し、社会にボーダレスであることを問いたいと語る。

中村「tsukuruba studiosは組織作り的な意味だけではなく、外に対する問いかけでもあるんです。エンジニアは抽象度をあげるとクリエイターで、クリエイターだと自身を捉えると、全然違う職能の人とも同じ土俵でコミュニケーションできるということを伝えたい。『あなたは自分をエンジニアだと思っているけど、実はクリエイターだと思ったことある?』と、組織デザインを通し、社会に問うていきたいです」