もし、未知なる異国があるとしたら、行ってみたくはないだろうか。

私自身いろんな事がうまくいかず、自暴自棄になり「目覚めたら違う世界にいたりしないかな」と妄想したことは1度や2度ではない。

そんな現実で異世界に行ける場所があるという。

それは東京都内にある四畳半のとても古いアパートの一室だった。ただ、普通と違うことがあるとすれば、部屋一面に白い砂が敷き詰められていることだ。聞けば「砂の部屋」という名前のアート作品だという。

砂の部屋の「正装」であるという真っ白なつなぎ姿で迎えてくれたのは、アーティストの井手尾雪さんだ。

どのような理由でこの場は作られたのか、なぜ砂の上なのか。場の発明を謳う我々として聞きたいことは山ほどある。夕日が差し込む不思議な部屋で、インタビューは穏やかに始まった。

井手尾 雪
アーティスト

ロンドン芸術大学Central Saint Martinsの初期課程を首席で成績で修了。現在は、四畳半の部屋に砂を敷いて暮らす「砂の部屋」という作品制作を続けながら、砂の上での空間展開などの活動を行う。https://www.sand-room.com/

訪れる人によって変化する「場」

——本当に床一面に砂が敷き詰められているんですね。びっくりしました。どうして砂を敷き詰めた部屋を作ったんですか?

井手尾:実はこれだと言える、はっきりした理由はないんです。自分の中で諸説ある状態なんですよね。笑

ただ、制作のきっかけとしては、人とアートの新しい出会い方を作りたかったんです。アートと出会う場所って美術館だけじゃないと思うんですよね。同じものでも、出会い方のデザインを変えるだけで見え方が全然違ってくるじゃないですか。私は、ただ作品を作るだけではなく、作品との出会い方から考えていきたいんです。

——たしかに美術館でアートに出会うのと、アパートのドアを開けてアートに出会うのでは印象がまったく違いますよね。どうして砂を選んだのですか?

井手尾:砂というモチーフは、想像力次第で何にでもなり、多様な見え方の可能性を包括するところが魅力的なんです。以前学童保育でアルバイトをしていた時に、子供達が砂場でおままごとをしているのを見ていました。その時に、彼らが砂の上に木の枝で「ここぼくの家ね」とか「ここは海」と描きながら、砂の上にどんどん世界を創りあげていくのを目の当たりにして、当時の私はかなり衝撃を受けたんです。そのことが今でも印象に残っていました。 四畳半という空間も、布団を敷けば寝室、料理をすればキッチンというように、狭いからこそ人が何をするのかによって空間の意味が変わる事が、砂場と似ていて面白いと思いました。砂も四畳半も共通して、人の行為によって何にでもなれる空白があるからこそ、多様な可能性を受け入れることができるんです。

実際ここ1年で100人以上招いてきましたが、みんな感じることが違うんですよね。海辺をイメージする人もいれば、公園の砂場だったり、砂漠だったり。人の想像力によって、砂の部屋は何にでもなれるんです。

他者とフラットな関係になるための方法

——何にでもなれる部屋にいると、どんなことがおこりますか?

井手尾:私は砂の部屋を通して、すべての人が異質な存在になるような「異国」をつくりあげたいのです。

よく「絆を大切に」「みんな仲良く」みたいな言葉がありますよね。私はその感覚が昔から苦手で、合わない人は合わないし、全員と仲良くなる必要はないと思っています。 でもそれは断絶を望んでいる訳ではなくて、もっとお互いにとって心地よい”間のある繋がり方”があるんじゃないかな、と思うんです。

砂の部屋にいろんな人を招いていたら、全く知らない人同士でも、砂の上ではフラットな関係が生まれやすいことに気づきました。私はその状態を、異国で出会った旅人同士のようなものだと感じるんです。 異国で出会った旅人同士は、互いにバッググランドは全然違うけど、その異国の地においてはどちらも異質な存在同士で、関係はとてもフラットです。

これこそが私の考える”間のある繋がり方”でした。 誰にとっても普通ではない「異国」にいることで、逆に自分にとっての普通さが浮かび上がってくると思うんです。

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異化することによって見えてくる「普通」という概念

——たしかに普通じゃない環境にいると、自分の「普通」にぶちあたりますね。

井手尾:いつもとは異なる環境にいると、自分が普通だと思っていたことを再認識できますよね。私は、そんな”自分にとっての普通さ”を認識することがとても大切だと感じています。

昨今個性を大事にしようとする流れが少しずつでてきていますが、私は幼い頃からアートを学ぶ中で、自分の個性というものがわからなくて悩んだ時期がありました。

アート作品を生み出す上で、個性というものが大事なのはわかっていましたが、だからこそ自分の個性ってなんだろうと、ずっと悶々としていたんです。

——あまりそんな風に見えないのですが、どんな学生だったのでしょうか?

井手尾:学生時代の私は、遅刻や欠席が多かったり、学校の中のルールはあまり守れない子でしたね。でも、授業よりもやるべきだと思ったことを優先しただけだったので、自分の中では「意識高い欠席」をしていると思っていました。笑

そんな風に社会との普通とズレ続ける事にずっと違和感を感じていたのですが、砂の部屋に暮らし始めてから、それは自分の中の普通を大切にしてきたからなんだと気づいたんです。そして、それが自分にとっての個性なんだと感じられるようになりました。

個性って、「自分にとっての普通さ」に宿っているものなんだと思うんです。自分とは異なる人や物などに触れることによって、自分の個性というものがわかってくるんです。

砂の部屋は自分の普通(個性)に気がつくための問いである

——雪さんはこの砂の部屋を通して、みんなから出てきた「普通という個性」をどうするのですか?次の作品につなげたりするんでしょうか?

井手尾:いえ、あまり結果自体に興味はないんです。砂の部屋は、訪れる人にとっての普通さが現れるような問いを生み出すための場所であるのかもしれません。それに対して自分とはまったく違う答えが出てくるのを見るのは楽しいですが、本当は良い「問い」が作れた時点で私はすごく満足なんです。

——良い「問い」とはなんでしょうか?

井手尾:私にとっての良い問いは、「まなざしが更新されるようなもの」ですね。その問いによって、物事を捉える視点や角度が変わったり、世界が違ってみえるようになったり、また新たな問いが誘発されたり。 でも、人それぞれの普通が異なるように、良い問いの基準も人によって違ってきます。

良い答えを探し求めることが多いこの世界で、良い問いから考え始めると、結果的に答えも良くなっていくのではないでしょうか。

そして、ここでいう問いとは、私にとってアートという言葉に置き換えられるのかもしれません。アートとは、問いを生み出す存在でもあるんです。 そんな問いであり作品を生み出し続けられたらと常に感じています。 でも、砂の部屋も完結はしていません。たぶん、一生砂の上に暮らしながら模索し続けていくんでしょうね。そんな中で、今この文章を読んでいる人の足元から地続き上に、こんな空間やこんな人がいるんだなと思ってもらえると、それがとても励みになるんです。

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